2010年03月17日

Re:水の天使、空の天使、風の天使

エノク書はエチオピア語からの翻訳のエノク書を私も持っていますが(聖書外典偽典 旧約偽典U 教文館)、
100ページ以上あるので結構な量です。

様々な天使の名前が出てくることで有名な書ですね。

天使はそれぞれの環境の守り神のように沢山創造されているようなのでそういうのもあるかもしれませんね。



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2010年02月20日

水の天使、空の天使、風の天使

天使にも、水の天使(サキエル)とか、空の天使(サハクィエル)とか、風の天使(ルヒエル)だとかがあるみたいですね。

偽典『エノク書』にでてくる天使なんだそうです。

偽典:旧約聖書の正典・外典に含まれないユダヤ教・キリスト教の文書



ラベル:天使
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2008年02月03日

Re:儒教における絶対者なる神様(天)

> 〔かまどの神や部屋の神よりも、最高の〕天に対して罪をおかしたなら、どこにも祈りようはないものです。」


かまどの神や部屋の神といえば、八百万の神々、万物に宿る神々のことを指していますし、
最高の天といえば、絶対者であり創造者である神様を指していることは明らかです。

儒教においては、絶対者を「天」と呼んだのですね。

仏教において天が天部を指すのとは違っていますので、
ここをわきまえていないと、混乱することになると思います。

王孫賈は、かまどの神と部屋の神を比べたのですが、
孔子様は、かまどの神や部屋の神といった被造世界に属するものではなく、
絶対者であられる天に対する姿勢をはっきりと言いました。

「天命」とか「お天道様が見ているよ」という言葉はおそらく儒教から来たのでしょうね。
儒教というのは、私たちの日常生活に溶け込んでいるような気がします。



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2008年02月02日

儒教における絶対者なる神様(天)

孔子様の儒教においては、どのように、絶対者なる神様のことを言っているでしょうか。

論語を読んで、絶対者(天)に触れているところをピックアップしてみました。

以下、「ワイド版岩波文庫169 論語 [孔子/著] 金谷治/訳注」より引用
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101729444/subno/1


引用

孔子の曰わく、君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る。

孔子がいわれた、「君子には三つの畏れ(はばかり)がある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人のことばを畏れる。小人は天命を知らないで畏れず(わがままにふるまい)、大人になれなれしくし、聖人のことばをばかにする。」

*天命ー古注には「順吉や逆凶が天の命。」とあり、運命的な窮極的理法のこと。ただし、新注では「天命とは、天が人や物に与えた正理。」
*大人ー有徳の先輩。また高位の人。

(p333)


王孫賈問うて曰わく、其の奥に媚びんよりは、寧ろ竈に媚びよとは、何の謂いぞや。
子の曰わく、然らず。罪を天に獲れば、祷る所なきなり。

王孫賈(おうそんか)が「『部屋の神のきげんどりより、かまどの神のきげんをとれ。』 と〔いう諺〕は、どういうことです。」とたずねた。
〔衛の主君よりも、権臣である自分のきげんをとれ、というなぞである。〕
先生はいわれた、「〔その諺は〕まちがっています。
〔かまどの神や部屋の神よりも、最高の〕天に対して罪をおかしたなら、どこにも祈りようはないものです。」

(p59)

引用終わり



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2008年01月30日

天照大神は人間の女性

> 一方、天照大神は実は人間で女性であったということも明確に
> 意識していく必要があるでしょうね。
http://pocs.seesaa.net/archives/20071021-1.html


日本書紀の巻第一には、

「天照大神の、方(みざかり)に神衣(かむみそ)を織りつつ、斎服殿(いみはたどの)に居します」

という記述があり、(岩波文庫 日本書紀(一)p74)

この「神衣」の補注として、

「神衣と祭との関係

神の召す衣。神衣を織ることは神に仕える巫女のする仕事。

よって天照大神が巫女であったことを、この記事は示している。

なお四月と九月とに伊勢神宮に御衣を奉る祭がある。
その時の祝詞がある。
『度会乃宇治五十鈴川上尓、大宮柱太敷立天、高天原尓千木高知天、
称辞竟奉留、天照坐皇大神乃大前尓申久、服織麻績乃人等乃、
常毛奉仕留、和妙荒妙乃織乃御衣乎進事乎申給止申』。

これは、ちょうどこの所の、
『方に神衣を織りつつ、斎服殿に居します』
という記述と、相応じる。」

(岩波文庫 日本書紀(一)p351)

とあります。

すなわち、天照大神は巫女すなわち人間の女性であったということを示しています。

また、スサノオノミコトも天照大神のことを姉(なねのみこと)と呼んでいます。
(岩波文庫 日本書紀(一)p64)



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2008年01月29日

日本語の「神」とは?

日本語の「神」というのは様々に用いられ、創造神、絶対神を必ずしも意味するものではないことは使われ方でもわかります。

人間も死ねば神と呼ばれ、自然も神と呼ばれる。
では、日本語の「神」にはどういう意味があるのだろうか?

「神道のすべて」によると
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31391867

大本教の語霊学から、火と水でカミという意味があるという捕らえ方もあるが、「霊妙不可思議の対象をカミ」とよぶという説がより適切であると有力視されています。

参考にこの内容も下記に引用します。

引用・・・・・・・・・・・・・・・

カミの語源と神の概念−
霊妙不可思議の対象をカミと呼ぶ

人智では理解できないものと働きを「カミ」という神道における「神」とは何か? 日本語のなかでもその最奥に潜む言霊では、火(カ)と水(ミ)で神(カミ)になる。

大本(教)や、その影響を受けた神道系の新宗教では、神の語源をこのように考えるところが多い。

しかし、日本の神の概念としては間違ってはいないが、言語学的に適切とはいえない。

江戸中期の国学者の本居宣長(一七三〇〜一八O一)は『古事記伝』(巻之三)の中で、

「尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物」を「迦徴」というと指摘している。
これは神の定義としては、じつに明解で、すぐれたものである。

さらに、宣長はその自註のなかで「龍樹霊狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物」だからカミになると語っている。

すなわち、宣長は一種のアニミズム的視点から、人智では理解できないものや、そうした働きを〈カミ〉と名づけたわけだ。

その意味では、森羅万象の要素の一つである「火」や「水」も、それ自体が充分に〈カミ〉としての契機を備えているといえよう。

当然、霊妙不可思議の畏怖の対象は、カミと呼ばれるのは当然なのである。

こうしたカミには、宣長いうところのタツ・コダマ(キダマ)などのほか、ミヅチ(水雲)、ヲロチ(大蛇=出霊)、イカヅチ(雷)、ククノチ(木霊)、ヌヅチ(マムシ=野霊)、ハヤチ(疾風)…等々の動物や自然現象が含まれていた。まさに、アニミズムの世界におけるイノチ(生命)の曼荼羅なのである。

そして、その作用(はたらき)や顕現のありようによって、カミのほかクマ(魂・霊・玉・珠)、モノ(物)、ヌシ(主)、ヒ(霊・日・火)、チ(霊・血・地・・・・)、コト(言・事)などとも呼ばれた。

・・・・・・・・・・・・・・・



ラベル:神道
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2008年01月28日

Re:造化三神

>ところが、問題なのは、最初に出てくる天御中主神である。
>高御産巣日神の場合、別名を高木神といい、天若日子の段や国譲り、さらにニニギの天孫降臨などの神代の主要な場面で登場してくる。
>また、神産巣日神も大気都比賣や少名毘古那神の段に出てくる。
>しかし、天御中主神は、『古事記』では、「天地の初発の時」
>に名をみせるだけで、あとはどこにも登場してこないのである。

>この天御中主神は姿こそ出さないが霊的に常にすべてをつかさどっている神であるとの解釈があることは今まで見てきたとおりだと思います。
>他の二神はこの神の具体的な働きとも言えると思います。

>すでに指摘したように、タカミムスヒは天上界で、カムムスヒは地上界での産霊を担当しているが、こうした「天の父」「地の母」という概念は、じつは、全世界に共通しているといえる。

>ここで、天の父、地の母という共通概念があるのはまさにそのような見方が真理であるということだと思います。


このあたりは実に原理的に理解できる興味深いところですね。

絶対者は、被造世界に対しては男性格主体として相対するので、
高御産巣日神の姿として現れるのだと思います。

原理講論の第一章創造原理の第一節「神の二性性相と被造世界」に、

「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、
被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。」

とある通りですね。



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2008年01月27日

造化三神

「神道のすべて」より
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31391867

造化三神の記述を引用します。


引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

造化三神と天御中主神の存在
 造化三神と謎の始源神・天御中主神

「記」の冒頭のみの存在

 天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神を総称して、造化三神という。

『古事記』の冒頭に「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神」とあるのがそれで、

造化三神という名称は『古事記』序文に「乾と坤と初めて分れて、参神造化の首(はじめ)と作り…」とあるのに由来する。

すなわち、この三神が物を造り出す産霊の最初の神となったわけである。

 ところが、問題なのは、最初に出てくる天御中主神である。
高御産巣日神の場合、別名を高木神といい、天若日子の段や国譲り、さらにニニギの天孫降臨などの神代の主要な場面で登場してくる。
 また、神産巣日神も大気都比賣や少名毘古那神の段に出てくる。

しかし、天御中主神は、『古事記』では、「天地の初発の時」に名をみせるだけで、あとはどこにも登場してこないのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この天御中主神は姿こそ出さないが霊的に常にすべてをつかさどっている神であるとの解釈があることは今まで見てきたとおりだと思います。

他の二神はこの神の具体的な働きとも言えると思います。それではさらに引用します。


引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ムスビの神―創造・発展・完成の力を発揮
 造化三神のうちのタカミムスヒの役割

 縄文時代以来の樹木信仰

 タカミムスヒは高御巣比神(記)高皇産霊尊(紀)高皇産霊神(古語拾遺)・高魂命(新撰姓氏録)等と記す。

タカはこの場合、崇高の意味を持つ修飾語で、ミは美称、ムスはウムス(産むす)で植物などが自然に発生する義で、ヒは霊力を表わす。そして、この神は『古事記』では高木神といい、天孫降臨のとき、その命令を下す役割を果たしている。

 また、神名としては出てこないものの、イザナギとイザナミの最初の夫婦交合の「失敗」のとき、二神は天つ神の命(御言)を請ているが、このときの「天つ神」がタカミムスヒだった可能性がある。

その意味では、「天つ神」の中の「天つ神」として神話の主要な場面で登場し、指導的な役割を果たした、まさに、創造・発展・完成の霊的エネルギーを発揮した神といえるだろう。

 ちなみに、タカミムスヒを高木神というのは、おそらく、その背景には縄文時代以来の樹木信仰があるものと思われる。すなわち、天高くそびえる巨木を神の依代とする信仰である。

諏訪大社の御柱はまさに、その象徴的存在だ。

 また、神を算えるときの単位を「柱」というのも、おそらく、ここから発しているに違いない。


 タカミムスヒは天の父
 カムムスヒは地の母

「古語拾遺」の高皇産霊神のところで、『古語拾遺』は高皇産霊神を「皇親神留伎命」に、神産霊神を「皇親神留弥命」に当てている。
 すなわち、『大祓詞』をはじめとする延喜式祝詞の常套句の「皇親神漏岐・神漏美乃命以て…」のカムロギ・カムロミである。

カムはもちろん「神」であり、ロはラの交替形(母音交代)で格助詞、キはコ(子)と同じで「男」、ミはメと同じで「女」の義である。

 すなわち、イザナギ・イザナミのキ(ギ)・ミと同じく男女二神を表わしている。言い換えれば、カムロギ(キ)は「神の男」、カムロミは「神の女」の義となるわけだ。

 『古事記』は「独神」すなわち性別がない存在としているのに、『古語拾遺』はセクシュアリティーを持たせ、ジェンダーを担当させていることになる。
 もちろん、『古事記』のほうが『古語拾遺』よりも先に成立している。
しかし、弧状列島の住民には、そうした男女の観念のほうが理解しやすく、中臣氏も祝詞の中でそれらを受容したようである。

 すでに指摘したように、タカミムスヒは天上界で、カムムスヒは地上界での産霊を担当しているが、こうした「天の父」「地の母」という概念は、じつは、全世界に共通しているといえる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ここで、天の父、地の母という共通概念があるのはまさにそのような見方が真理であるということだと思います。



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2008年01月26日

Re:天津甕星

天孫降臨の国づくりの反逆神とここには書かれています。

母系制「星神 天香香背男」
http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/dusto/bokei/bok-43.htm


神道の研究では過去の神も人と見る研究者も多く、ごちゃごちゃになっている傾向があり、そこで行き詰まってしまうようですね。

そして神話にいたる系図も象徴的なものであるような気がします。

神道では、通常血統としては男性が重んじられますが、
信仰の面ではなぜか母系が重んじられるようですね。


造化三神においては天の父という考えもあるのに母系が信仰を立ててきたと言う考えがあるのでしょうか?

ここらへんのなぞを説いていくことは意義があるかも知れません。



ラベル:天津甕星 星神
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2008年01月25日

天津甕星

ウイーキペィデアでは天津甕星は金星であると記述がありますね。

明けの明星と言われるルシファーと共通性を感じます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%94%95%E6%98%9F


▽▽▽


>  また、同じく『日本書紀』神代下・第九段の第一の一書の「注」には
> 「其の不服はぬ者は、唯星の神香香背男のみ」と出てくる。

この部分をもう少し前から引用しますと、

「一にいわく、二の神遂に邪神および草木石の類を誅いて、皆すでに平けぬ。
其の不服はぬ者は、唯星の神香香背男のみ。」

(あるにいわく、ふたはしらのかみついにあしきかみおよびくさきいしのたぐひをつみないて、みなすでにむけぬ。そのうべなはぬものは、ただほしのかみかかせをのみ。)

とあり、邪神と書かれていますね。



ラベル:天津甕星 星神
posted by pocs at 07:40| Comment(0) | 神様と天使と人間の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする