2008年07月17日

Re:Re:Re:Re:Re:心のノート

必要な内容は、十分網羅されたと思います。

これをして反発する方は心の世界はどうであろうとこの世界でうまく生きて行ければよいというようなことをいう方でしょう。

が、隠されたものはいつか表に現れ問題となる。心の問題を正しく扱えてこそ、表に現れる問題も解決される。

このような心身統一の観点で私たちは道徳教育推進を後押していきたいですね。

▽▽▽


国に対し正しい助言をしていくことは忠臣の道理ですね。

本日、このたびの意見を首相官邸と文部科学省に送信いたしました。

首相官邸ホームページ
http://www.kantei.go.jp/

文部科学省ホームページ
http://www.mext.go.jp/



posted by pocs at 06:19| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

Re:Re:Re:Re:心のノート

みなさんのご意見を反映して、一部修正してみました。
いかがでしょうか?


日ごろから、子供たちの正しい心を育てるために、尽力くださり、まことにありがとうございます。
今日は、文部科学省発行の「心のノート」を拝見し、ご意見をひとつ申し上げたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

「心のノート」は、子供たちが向上心を高め伸び伸びと生きる内容で、とてもよい内容だと思います。個人尊重と自己中心とが履き違えられやすい今日の社会において非常に重要であると思います。また、社会や家族の人間どうしの関係が子供たちをよく育てるはずが、経済的価値観のみが先走っている今日の社会において、うまくいっていないところを修正する良い教材だと思います。

しかし、ちまたでは、国の都合の良い内容だとの批判もあるようですし、子供の能力いかんによっては達成不可能な内容ではないかといった意見もあるようです。

ここで、あらためて、心について考えてみるとき、心は、肉体の欲望を克服して正しく生きようとしますので、その主体は、肉体ではありません。

それで心のノートには、「自然」や「崇高なるもの」とのかかわりが重要であるとあります。

心のノート5・6年には「大いなるもの」に関して、「私たちの夢は天空をかける。はるか宇宙の果てに何があるのだろう。私たちを生かす自然は不思議な摂理に包まれている。目に見えない神秘の世界がある。人間の力を超えたものがある。」という記述がありますが、
次のような言葉も付け加えていただきたいと感じます。

「私たちは目に見えない大いなる存在に生かされている。その存在は国も肌の色の違いも分け隔てなく私たちを生かしてくださる。私たち人間は同じように笑い、泣き、心を通わすことができる。そして、大自然の美しい調和に感動する心や、人を命がけで助ける偉人たちに感動する美しい心を、大いなる存在によって皆が等しく与えられているのだ。」

また、5・6年生版には神秘という文字があるのに、中学生版には変に科学性を持たせようと進化論的表現のみに終始している気がしますが、大いなる存在は、科学では推し量れないものです。科学で物理法則を解明できたとしても、ではその物理法則はいったいどこから来たのかという問いに対して、ノーベル賞を受賞した科学者でさえ、その法則をもたらした大いなる存在に対して謙虚な気持ちを持つものです。

従って、人間を生かしてくださった絶対者について語ってこそ、心について、よりよい説明が出来るでしょう。

また、戦争に結びつくのは、暴力で支配しようとする権力欲などのエゴであると思います。自分自身を愛してこそ人を愛せると言われるのと同じく、大いなる存在に生かされていることを意識することを通じて同じ人間であるという意識に立つことによってのみ国際社会との真の協力と調和が実現されることを謳う必要があると感じます。

豊かであるはずの日本で、心の豊かさが失われつつある半面、貧しい国々では、明日への希望をもち人々が目を輝かせて生きているという側面もあります。
貧しいといったマイナス的なことは、より成長するためのばねになり、自分の足りなさを発見し、もっと頑張ろう、自分と同じように弱い人々の為に生きようという向上心につながります。
たとえ競争原理において優劣が分かれたとしても、大いなる存在によって生かされているという意識のもとでは、優劣いずれの立場に立っても競争心を善につなげることが出来るでしょう。しかし、大いなる存在を意識できない場合、競争心を上手に善に結びつけることが出来ません。

大いなる存在と心との結びつきの説明が、現時点ではとても弱いと感じます。

いのちの大切さについても同様です。いのちの大切さの根拠はどこにあるのでしょうか。いのちの大切さを人間固有の損得勘定で計ることができるでしょうか?あるいは、親から与えられたものだからと言っても、親にとっても子は天から授かったものなのです。人間のいのちは、絶対者から与えられたものであるがゆえに、自他ともに誰にとっても絶対的な価値を持っていると言えるのです。

心のノートにおいて、個々の宗教について語る必要はないと思いますが、大いなる存在、すなわち、人間存在の根源である絶対者については絶対に語る必要があると思います。

なにとぞどうぞよろしくお願い申し上げます。



posted by pocs at 06:40| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

Re:Re:Re:心のノート

> これに対して、悔しいと思ったり、負けじと思ったりするような陰的な側面が人の向上心につながるというような意見もあるようです。
>
> こういう心自体が悪いのでなく、その処理の仕方を教えるべきではないでしょうか?


なるほど、陽陰の二性性相ですね。
これは今の日本にとってとても重要なことかもしれませんね。


>
> 自分が負けたからといって人を怨んだりするのはもちろん間違いですが、
> より成長するためのばねにしたり、自分の足りなさを人を通じて発見しもっと頑張ろうと思うこと、
> それを通じてより向上したい、自己主管、あるいは実際に他に役立って為に生きるということにおいて、
> より上を目指したいという競争心というか向上心は人格を形成する上で必要なことであると思います。
>


豊かであるはずの日本で、心の豊かさが失われつつある半面、
貧しい国々では、明日への希望をもち目を輝かせて生きているという、
このようなところからも多くを学ぶことができますよね。



posted by pocs at 06:15| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

Re:Re:心のノート

> 善なる競争を神様の創造理想に結びつけられたら
> 一番いいのですが。


「心のノート」には競争の原理がないのです。

これに対して、悔しいと思ったり、負けじと思ったりするような陰的な側面が人の向上心につながるというような意見もあるようです。

こういう心自体が悪いのでなく、その処理の仕方を教えるべきではないでしょうか?

自分が負けたからといって人を怨んだりするのはもちろん間違いですが、
より成長するためのばねにしたり、自分の足りなさを人を通じて発見しもっと頑張ろうと思うこと、
それを通じてより向上したい、自己主管、あるいは実際に他に役立って為に生きるということにおいて、
より上を目指したいという競争心というか向上心は人格を形成する上で必要なことであると思います。



posted by pocs at 06:07| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

Re:心のノート

> 「自然。悠久の時間の流れ
>
> 生命
> 偶然性。いまここにいる不思議
> 有限性。いつか終わりがあること
> 連続性。ずっとつながっていること(受け継がれていくこと)」
>


タイトルには
「この地球に生まれて−自然や崇高なものとのかかわり−」と、
「崇高なもの」と書かれているのに、
中身は、自然とのかかわりについてしか言っていないみたいですね。

「崇高なもの」についても言及してもらいたいですね。


▽▽▽


あと、競争原理をどう考えるかというのを善なる競争の観点から入れればと思います。


▽▽▽


「心のノート 小学校3・4年」では、
競争という言葉は見当たりませんが、

『かがやく自分になろう』では
「今よりよくなりたいという心を持とう」

『人とともに生きよう』では
「礼儀」
「ひとりじゃないからがんばれる」
「いまの自分をみがこう みんなの中で自分を生かそう」

『みんなと気持ちよくすごそう』では
「やくそくやきまりを守るから仲よく生活できる」

といったタイトルがあって、
善なる競争に導こうとする意図は感じられます。

ダーウィン進化論で自然淘汰とか弱肉強食とかの
相当間違った価値観が社会にもたらされましたが、
心のノート3・4年にはそういった記述は見当たらないようです。

善なる競争を神様の創造理想に結びつけられたら
一番いいのですが。



ラベル:心のノート
posted by pocs at 06:41| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月10日

Re:心のノート

また、中学生の心のノートを見ると、生命観が進化論に近い発想で、問題を感じました。

「今ここにいる不思議が神秘でなく、偶然」と書かれていることにがっかりしました。

また肉体的な有限性はありますが、連続性は単に遺伝子的連続性でなく先祖を敬ってきたという宗教性の説明も入れてほしいところでした。

新教育基本法にも関わる内容のようですので、言及していきたいですね。

「自然。悠久の時間の流れ

生命
偶然性。いまここにいる不思議
有限性。いつか終わりがあること
連続性。ずっとつながっていること(受け継がれていくこと)」



posted by pocs at 06:25| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

Re:心のノート

また、心のノートは理想的なことばかり書いてあって、実際そうでない家庭やがんばってもそういう心を持てない子供は反発してひねくれたり、逆に頑張り過ぎて落ち込む子がいるのではないかという意見もネットには見受けられ、そのように思う人もいるのだなぁと改めて感じました。

リコーナ博士の子育て入門には
http://www.amazon.co.jp/dp/476640405X/

子供の倫理観は、

0段階 私の願っていることが実現すれば、それは正しい行為だと思う

1段階 人に言われたことを成すのが正しいことだと思う

2段階 私がそれをすることで得になることが正しい行為だと思う

3段階 他の人たちは私をどう思っているかでよく思われることが正しい行為だと思う

4段階 みんながそれをしたら良い結果になれば正しい行為だと思う

5段階 一人ひとりの良心に従って生きることが正しい行為だと思う

などの成長の段階があるといいます。

こういった観点からすると各段階にある子供を次の段階に引き上げるという観点も道徳教育には必要であり、高すぎるような内容は子供は相対できないということは確かにあるとは思いますが、
義人・偉人の話などを通じて間接的にという方法はあると思います。



posted by pocs at 06:57| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月08日

Re:心のノート

精神に関する障害の、大阪の代表をされている方に、原案をご紹介しましたところ、次のようなメールが帰ってきました。

”あえていわせていただけば、人間は絶対者によるものでなく、社会、家族という人間関係に育てられるはずですが、そのことがうまくいかなくなりつつあるのが今です。経済への異常なほどの執着の風潮が日本の教育荒廃させた。”

論点がずれてしまうかもしれませんが、このような方には、理解されないのでしょうか?


▽▽▽


神仏や絶対者を受け入れやすくするには、どうしても、国や組織など大きなものにだまされるのではないか?という不信感を払拭する内容が必要な気がします。

森総理の神の国発言にマスコミが過剰反応を示したように、その誤解を解く必要性があると感じます。
私ももう少し考えてみます。



ラベル:心のノート
posted by pocs at 06:03| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

心のノート

「心のノート」についてはなぜか学校に置きっぱなしで家に持ち帰らない教科書になっており、教室のはじに置いてあるのを入学式(今年長男が1年生)に見かけたものの気になっていました。

どうやら、ネットで情報を集めた限りでは、
内容は、「働くことは個人だけのためでなく社会奉仕であること」「国を尊ぶこと」などが書かれ、補助教材であるものの、国の都合の良い内容だとの批判が人権教育を主張する人からはあるようですが、
悪くはない内容だとは思います。
(国そのものが悪い方向へ行くことを前提としての批判が多いです)

単に個人の尊重と批判精神を小さい頃から教える傾向のある人権教育よりは良いと思います。
(そんなことをしたら先生の言う事を聞かなくなって子供は先生から学ばなくなります。)

ただ、心の問題に関しては、全体主義的なことばかりや個人主義的なことばかりではいけないと、「個人を離れた全体も全体を離れた個人もない」との原理観から言えると思います。

心の根本は神仏であるということは、個人を生かすと同時に国だけでなく世界を生かそうとする神仏の存在を知れば両方が調和するといえると思います。

国のためとか社会の奉仕は無批判であれということでなく、よりよくなるためにはどうすべきかと積極的提案と実践をすることであると思いますから、そういった単に個人尊重の批判も的外れなものであると感じました。

「心のノート」は一通り目を通しておきたいですね。



ラベル:心のノート
posted by pocs at 07:04| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

政府、文部科学省に対して、意見 心のノート

政府、文部科学省に対して、意見を送りたいと思います。
意見文は以下のとおりです。

もし、何か付け足したほうがよいと思われるところがあれば、お願いいたします。

以下、送る内容

日ごろから、子供たちの正しい心を育てるために、尽力くださり、まことにありがとうございます。
今日は、文部科学省発行の「心のノート 小学校3・4年」を拝見いたしまして、ひとつご意見を申し上げたいと思いましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

心について考えてみるとき、心の主体は神仏です。心は、肉体の欲望を克服して、正しく生きようとします。その主体は、肉体ではありません。儒教では天と呼ばれ、仏教では大日如来と呼ばれ、キリスト教では創造主と呼ばれる、人間の親である絶対者です。心のことを、仏教では菩提心といい、キリスト教では神の御霊があなたがたに宿っているといい、儒教ではお天道様がいつも見ているよといって、ひとりびとりの良心に問いかけることができるのです。

拝見しましたところ、「心のノート」には神仏に関する教育内容がまったく入っていないように思われますが、これはとても問題だと思います。なぜなら、神仏を無視していくら心を善くしようと思っても無理があるからです。根となる道理なくして、どうして善を志向することが出来るでしょうか。人間どうしの損得関係で正しい心を養うことができますか?あるいは力を合わせるといっても、その究極的な目標は人間自体の中にはありません。もともと人間は自分で生まれてきた存在ではないからです。損得は人間の究極的な喜びにはなり得ません。究極的な喜びは根となる道理に合致したときに感じられるものです。

人間を生かしてくださった神様や仏様について語らなければ、心について語ることは限界があります。いのちの大切さについても同様です。いのちの大切さを損得で計ることができるでしょうか?また、親から与えられたからと言っても、親にとっても子は天から授かったものなのです。人間のいのちは、絶対者から与えられたがゆえに絶対的価値があるのです。

個々の宗教について語る必要はないでしょう。しかし、人間存在の源である絶対者については語る必要が絶対にあります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。



ラベル:心のノート
posted by pocs at 07:25| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする