2009年06月26日

Re:Re:Re:Re:月は果たしてそこにあるのでしょうか(2)

前の投稿の続き

「最も低次元である鉱物においては、法則的要素だけで理性的要素は全くないようであり、最も高次元である人間においては、理性的要素だけで法則的要素は全くないようであるが、実際は両者共に理性的要素および法則的要素が統一的に作用しているのである。

したがって万物の存在と運動は、自由性と必然性の統一であり、目的性と機械性の統一である。すなわち必然性の中に自由性が作用し、機械性の中に目的性が作用するのである。

ロゴスが理性と法則の統一であるために、ロゴスを通じて創造された万物は、大きくは天体から小さくは原子に至るまで、すべて例外なく、理性と法則の統一的存在である。すなわち万物は、すべて理性と法則、自由性と必然性、目的性と機械性の統一によって存在し、運動し、発展しているのである。」

(統一思想要綱p.61から63より抜粋)
https://www.amazon.co.jp/dp/4876568154



ラベル:万物の存在
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2009年06月10日

Re:Re:Re:Re:月は果たしてそこにあるのでしょうか

原相論からロゴスと存在論に関わる内容をとりあえずあげてみました。これらと認識論と量子論と一般相対性理論などの関わりを概略的に見るべきなのかも知れないですね。


「統一思想から見れば、ロゴスを言(ことば)というとき、それは神の思考、構想、計画を意味し、ロゴスを理法というとき、それは理性と法則を意味する。

ここで理性とは、本性相内の内的性相の知的機能に属する理性を意味するのであるが、万物を創造したロゴスの一部である理性は、人間の理性とは次元が異なっている。人間の理性は自由性をもった知的能力であると同時に、概念化の能力または普遍的な真理追求の能力であるが、ロゴス内の理性は、ただ自由性をもった思考力であり、知的能力なのである。

そしてロゴスのもう一つの側面である法則は、自由性や目的性が排除された純粋な機械性、必然性だけをもつものである。
法則は、時と場所を超越して、いつどこでも、たがわずに作用する規則的なものである。すなわち、機械装置である時計の時針や分針が、いつどこでも一定の時を刻むのと同様なものが法則の規則性、機械性なのである。

理性と法則の統一としてのロゴスによって万物が創造されたために、すべての被造物には理性的要素と法則的要素が統一的に含まれている。

したがって万物が存在し、運動するとき、必ずこの両者が統一的に作用する。ただし低次元の万物であればあるほど、法則的要素がより多く作用し、高次元であればあるほど、理性的要素がより多く作用する。」

(統一思想要綱p.58から61より抜粋)



posted by pocs at 08:32| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

Re:Re:Re:Re:月は果たしてそこにあるのでしょうか

仕事中なんで、ざっと書きましたが後は明日の朝に致します。

創造目的でミクロからマクロまで役割が与えられ支配されていると言うべきでしょうか。



posted by pocs at 17:55| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

Re:Re:Re:月は果たしてそこにあるのでしょうか

Iです。

この理解の仕方は、統一思想では全てのものは理法で存在しているというのがポイントだと思います。

月は、1つの物質の塊として理解できるし、太陽の光を反射するものとしても理解できるし、認識するものがなければ存在しないのか?と言えば、それを月として理解できず、エネルギーの塊が存在するだけかもしれませんが、月というものを存在させる法則はすでに存在しています。

ただ、それを月として理解し、地球の衛星として存在するとか理解できるのは人間だけと言えるでしょう。

また、月を美しいと思ったり、いろいろ感じるのも人間だけでしょう。

ただ波動と言う側面よりも、大きなものは粒子の塊としてマクロ的法則で支配されているので、そのように理解し、通常、そのような塊として、人間は相対的に理解するように創造されているのでしょう。

そこにネコちゃんを当てはめるのは合理的とは言い難いでしょう。



posted by pocs at 01:13| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

Re:Re:月は果たしてそこにあるのでしょうか

Iです。

観測が対象を規定するかどうかという問題ですね。

対象の認識の仕方、とらえ方は規定すると言えますが、対象を存在させる法則は厳然として存在すると思います。



ラベル:観測 認識
posted by pocs at 22:42| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月19日

Re:月は果たしてそこにあるのでしょうか

> まぁ月はそこにあるとしても、素粒子の世界では不確定なわけですから、精神を物理で語る場合どっち側なんでしょう?」


精神を物理で語る場合、というのがよくわからないですね。

精神を物理で語ることはできないと思うのですが、
精神を物理で語ろうとしているんでしょうかね?



posted by pocs at 18:23| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

月は果たしてそこにあるのでしょうか

次のような質問には、原理的にどう答えられるのでしょうか?

「月は果たしてそこにあるのでしょうか

僕らが背を向けている時は油断してるかもしれません

シュレディンガーさんちのネコちゃんに聞いてみないと……

まぁ月はそこにあるとしても、素粒子の世界では不確定なわけですから、精神を物理で語る場合どっち側なんでしょう?」



posted by pocs at 08:25| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

Re:Re:Re:Re:無形実体世界について 唯心論でも唯物論でもなく

> 「人間主体ではなく、理(ことわり)として、初めから在るのではないか、という意味です」
> と言っておられます。

理(ことわり)が初めから在るとおっしゃっているならば、まさにそのとおりだと思います。

その「理(ことわり)」がなければ、人間の認識自体もあり得ないということですね。


まさしくそれをさして、唯心論でもなく、唯物論でもなく、唯一論だということです。



> 唯心論でも唯物論でもなく、正ー分ー合と(精神と物質)の相対物の授受作用で合性体(新性体)が形成されると説明しましたところ、次のような質問が来ました。
>
> 「睡眠中はどうなのでしょう?
> 物質を認識する授受作用が無くても、月はいつでもそこにあります

霊界において人間の想念が合性体を形成するということに対して、
その合性体と言っているものは初めからあるのではないか、
とおっしゃっているのかもしれませんね。

「人間」と「霊界」との授受作用によって人間の思ったものが合性体(結果物)として現れることもありますし、すでに存在している家族どうしが霊界でともに暮らすこともあると思います。



posted by pocs at 01:18| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月14日

Re:Re:Re:無形実体世界について 唯心論でも唯物論でもなく

「人間主体ではなく、理(ことわり)として、初めから在るのではないか、という意味です」

と言っておられます。



posted by pocs at 23:38| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月08日

Re:Re:無形実体世界について 唯心論でも唯物論でもなく

> 目が覚めて初めてそれが現実ではなく、夢だったと理解する様に、認識する、観察する、という行為は、完璧な客観性と、冷静理的行為で、人間主体ではない様な気がするのですが?」

この文章の意味がよくわからないのですが、
認識する、観察する、という行為は、人間が主体ではないのではないか、
人間が主体となって行うのではなく、外からただ入ってくるだけ、
なのではないか、
という意味でしょうか?



ラベル:
posted by pocs at 15:52| Comment(0) | 霊界テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする