前に量子とはなにかというような議論を櫻井さんという方の掲示板でしたことがありました。
参考までに、そのときの櫻井さんの書き込みと私のコメントを少し整理して転記します。
櫻井さん
粒子性とは、位置の誤差を0とみなした観測方法のときに現れます。
粒子とは空間のある部分を占有している状態で位置があります。
この場合、速度の誤差は無限大までになります。
不確定性原理 Δx・Δv ≧ h/m
Δx:観測時の位置の誤差、Δv:観測時の速度の誤差、m:質量、h:プランク定数=6.6255×10^-27erg・秒
粒波動性を認識する観測方法とは、速度の誤差を0とみなすものです。
位置など問題にせず、波長が観測されるから波に見えます。
速度が確定されれば、ド・ブロイの式で波長が確定されます。
波長λ=h/(m・v)
この場合は、位置の誤差は無限大になります。
このように、粒子性とか波動性というのは、あくまでもどのような目的で(位置の誤差を0とみなすか、速度の誤差を0とみなすか)観測するか、ということで現れる「量子の性質」ということが出来ます。
机とか本だと桁が違い過ぎるので、ほこりを例に考えましょう。
大きさ1ミクロン(10^-4cm)なら、だいたい質量は10^-11g、
速度を1ミクロン/秒とすれば、
波長λ=6.6255×10^-27/(10^-11×10^-4)=6.6255×10
^-12cm
ですね。
原子の大きさでさえ、数オングストローム(10^-8cm)ですから、このほこりの速度の誤差を0とみなして波として観測した場合の波長は、原子の直径より小さいわけです。
これでは肉眼ではとても波には見えないわけです。
量子の波という実体というよりも「波動性という性質」です。
量子の粒子の実体というよりも「粒子性という性質」です。
私達が一般にイメージしている粒子とか波とかが、そのままのイメージでミクロの世界にあるのではないのです。
あたし達が知っている一般の波と同じような性質(波長がある、回折する、干渉する)がある「ところのもの」。
こういう関係代名詞的な言い方しか出来ないものが量子なのです。
波の性質として、波長の長さと同じ位置の誤差を生じます。
したがって、波長が長い量子なら、位置が分からずボヤーってします。
逆にマクロなもの、ほこりとか机とか本とは波長が短いですから、位置がはっきりくっきり分かるのです。
状態関数として存在して、状態関数とは粒子性と波動性の和になっています。
観測すると、どちらかの状態だけが出てくるのです。
そもそも「見る」という観測方法が、量子の状態を粒子性に確定する方法です。
私達が物を見る場合、対象に目をやったら「すぐ見え」ます。
これは、「光子が網膜に到達した」ということです。
もし網膜に飛んできた光が、光子(光の粒)ではなく、電磁波
という波動だったとしたら、すぐ見えません。
網膜の分子に変化を起こさせるエネルギーは1エレクトロン・ボルトくらいですが、波動だったら網膜にこのエネルギー量が溜まるまで、たぶん2〜3分間かかります。
その時間は、何も見えないことになります。
すぐ見える、ずっと見えるということは、この量を上回るエネルギーをもった光子が連続して飛んできて、ドカンドカンと網膜に当たっていることなんです。
で、対象の量子状態が波だったら、光子は反射できません。
波だから、粒がぶつかっても通り抜けます。
対象も粒子の状態だから、光子がぶつかって跳ね返ります。
つまり、人間の「見る」という観測行為は、対象の粒子性を観測する行為です。
光子が対象にぶつかって反射し、網膜に到達したから「すぐ見える」のです。
電磁波としての光が対象にぶつかっても「すぐ見えない」のです。
科学ではエネルギーの一形態といえると思います。
私のコメント
このように波動が干渉しあう性質があり、このように粒子として反発する性質があるということは、同時にそこにその様な力が働くとも表現できます。
性質と言うのはその結果に対して便宜的に言う原因を言ったものですが、それを結果として見れば「力がある」と言う表現にもなるのであると思います。ただし、力と考えると力は一方方向にしか進まないはずだから、最後は「その様な現象を引き起こす性質がある」と表現せざるを得なくなります。
エネルギーは力だと言うだけでは結局は不十分であり、粒子性と波動性と言う性質として表現されざるを得ないのはこのような理由と思います。これは性相が主体で形状は対象であり、性相と形状の相対的関係が存在の実体であると言うことの科学的証明であるとも思われます。