2008年09月12日

Re: 利己的な遺伝子 すべて枠組みが出来ている中での話

> ドーキンス博士は、果たしてこのような状況のなかで、
> 遺伝子の進化を論ずることが可能なのだろうか?と自問しつつ、
> p.54において、それは可能だとし、
> その根拠として、ボートレースの例を挙げ、
> 次に、草食獣の歯について検討し、
> 続けてゲーム理論を挙げています。

さて、「平たい歯を授ける」遺伝子なるものがあるとすれば、草食動物においては平たい歯を授ける遺伝子が有利になります。しかしながら、肉食動物においては、鋭い歯を授ける遺伝子が有利となり平たい歯を授ける遺伝子は不利になると、
ドーキンス博士は考えていらっしゃるようです。

そこで、ゲーム理論が次に展開されることになります。
このゲームはこちらのカードが同じでも相手の出し方によって点数が変わるというゲームです。

このゲーム理論は、あらゆる段階において適用できます。
個体内のさまざまな特性においても、個体どうし、あるいは環境との関係においても適用されるのです。

(遺伝子どうしにおいて適用されるかどうかは、はっきりと述べられてはいないように思いますが、間接的に述べられているとしていいのではないかと思います。)

ここにおいて、気がつくことは、ボートレースにおいても、歯の形においても、最初に枠組みが出来ているということです。

枠組みが出来ている中で、どちらがよりよいかという話です。
その枠組みがどうして得られたのかについての話はまったくありません。


「あらゆる遺伝子がその仕事を達成するのに数千の仲間の遺伝子を必要とするのであれば、世代を通じて体から体へと不死身のシャモアのように跳躍してゆく不可分の遺伝子、つまり、自由で拘束されない、自己追求的な生命の因子という私の図式とこのこととが、どうして両立しうるのだろうか?
それはすべてたわごとだったのだろうか?

いやそうではない。飾った文句で酔わせた部分もあったかもしれないが、決してたわごとを語ったのではない。じっさい矛盾はないのだ。
これは別のたとえで説明することができる。

一人のボート選手は、自分だけでオックスフォード対ケンブリッジのレースに勝つことはできない。彼には八人の同僚が必要だ。
それぞれの選手はつねにボートの特定部分にすわる専門家だ。
つまり、前オールか整調手かコックスかなにかである。

ボートをこぐことは協同作業であるが、にもかかわらず中には他の者より腕のいい者がいる。
コーチは、前オール専門の選手陣、コックス専門の選手陣など一群の候補者の中から自分の理想とするクルーを選ばねばならない。

彼は次のように選んだとしよう。
彼は毎日各ポジションの候補者を無作為に組合わせて、新たに三組の試験クルーを組み、その三組のクルーを互いに競争させる。
これを数週間続けると、勝ったボートにはしばしば同一人物が乗っている傾向のあることがわかるであろう。

これらの人物はすぐれた選手としてマークされる。
また、中にはいつも遅いクルーの中に顔を出す選手もいよう。そうした者たちは結局はのぞかれる。しかし、きわだって腕のいい選手でもときには遅いクルーにはいっていることがある。
他のメンバーの腕が悪かったせいか、運が悪かったため−たとえば強い向かい風であったためである。
一番すぐれた選手たちが勝ったボートにいる傾向があるというのは、単に平均してのことである。

この選手たちにあたるのが遺伝子である。
ボートの各位置に関するライバルは、染色体上の同一点を占める可能性のある対立遺伝子である。
速くこぐことは、生存に成功する体をつくることに相当する。風は外部環境にあたる。交替要員の集団が遺伝子プールである。

一つの体に関していえば、その体の遺伝子全部が同じボートに乗っていることになる。
よい遺伝子が悪い仲間にはいり、致死遺伝子と一つの体の中に同居することもよくある。この場合、致死遺伝子がその体を子どものうちに殺してしまい、よい遺伝子は他の遺伝子といっしょに滅ぼされる。

しかし、これが唯一の体ではない。同じよい遺伝子が致死遺伝子をもたない他の体の中で生き続けている。よい遺伝子のコピーは、たまたまたちの悪い遺伝子と一つの体に同居したためにそれらに引きずられて滅びることもあるし、また宿った体が雷にうたれるなど別の種類の不運にみまわれて死ぬこともよくある。

ともあれ、定義によれば、運、不運はランダムにおこるものだ。
だから、一貫して負けの側にある遺伝子は不運なのではない。だめな遺伝子なのだ。
すぐれたボート選手の資質の一つは、チームワーク、つまりクルーの残りのメンバーと協調できる能力である。
これは強い筋肉と同じくらい重要である。

チョウの例で述べたように、自然淘汰は、逆位その他、染色体の一部の大規模な移動によって、無意識に一つの遺伝子複合を「編集」し、よく協調する遺伝子を集めて、緊密に結びついた集団にしてしまう。

しかし、物理的にはまったく結びつきようのない遺伝子どうしが互いに両立しうるだけで選ばれる場合もある。ゆく先々の体の中で出会う大方の遺伝子、すなわち遺伝子プールの残り全部の遺伝子の大方とうまく協調できる遺伝子は、有利になる傾向があろう。

たとえば、有能な肉食獣の体には数々の特性が必要である。
その中には肉を切り裂く歯、肉の消化に適した消化管、その他さまざまな特性が含まれる。一方、有能な草食獣は草をすりつぶすための平たい歯と、別の型の消化機構をもったずっと長い腸を必要とする。
草食獣の遺伝子プールの中では、肉食用の鋭い歯をその持主に授ける新しい遺伝子は、けっして成功しないにちがいない。
それは、一般に肉食という着想が悪いためではない。適した消化管その他、肉食生活に必要なあらゆる特性をもそなえていなければ、肉を効率よく食べられないためである。

肉食用の鋭い歯に関する遺伝子が、本来的に劣った遺伝子なのではない。
それは、草食性に向いた遺伝子が優勢な遺伝子プール内では劣った遺伝子であるというのにすぎない。

これは微妙で複雑な話である。ある遺伝子の「環境」が大方他の遺伝子からなっており、他の遺伝子のそれぞれが、さらに別の遺伝子という環境と協力しうる能力によって淘汰されていくため、複雑なのである。

この微妙な点を説明するのにふさわしいアナロジーがあるが、これは日常経験するようなものではない。
それは「ゲーム理論」とのアナロジーである。
ゲーム理論については、個体間の攻撃的なコンテストに関連して5章で紹介する予定である。そこで、この点に関するこれ以上の議論は、5章の章末にゆずることにして、この章の中心課題に話をもどそう。

つまり、自然淘汰の基本単位と考えるのにもっともふさわしいのは、種ではなく、個体群でもなく、個体ですらなくて、遺伝物質のやや小さな単位(これを遺伝子とよぶと便利だ)であるということだ。」

(利己的な遺伝子 p.54-p.56)
http://www.amazon.co.jp/dp/4314010037/



posted by pocs at 06:18| Comment(0) | 進化学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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