2008年08月28日

Re: 利己的な遺伝子 生存機械をつくること

「利己的な遺伝子」
http://www.amazon.co.jp/dp/4314010037/

のp.31からp.33には、
DNAの出現後、成体が作り上げられる過程について書かれています。

これ以降の記述は、対立遺伝子の中でより生き残りやすい遺伝子が残ってきたという相互作用論ですから、
成体が初めて作られた過程について書かれているのはここだけだと思います。

そこで、考察ですが、

1.DNAが複製される機構は多くのタンパク質や酵素が関与する複雑な機構であり、
実際DNAを複製しているのはこれらDNA以外の分子です。

DNA複製
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/replicat.htm

ドーキンス博士は、DNAにのみ注目し、
「利己的な遺伝子」という比喩表現は、
あたかもDNAがすべてを取り仕切っているような印象を与えますが、
実際のDNAはむしろ、複製してもらう側の受動的な存在で、
生命現象においてDNAを主体と見ることは出来ないのではないか、
と思われます。
少なくとも、DNAだけでは複製は出来ないし、したがって、胚発生も出来ません。
ここには、DNAと多くの酵素との間に、相対的授受相関対応関係があります。


2.ドーキンス博士は、
「DNAの指令は自然淘汰によって組立てられてきたのである。」
「DNAは別の種類の分子であるタンパク質の製造を間接的に支配していて、
自然淘汰は生存機械をつくることのうまい自己複製子に、つまり、
胚発生を制御する術にたけた遺伝子に有利にはたらく。」
として、進化を説明しています。

しかし、「自然淘汰によって組み立てられてきた」というのは語弊があって、
そもそも、生存機械にまでたどりつくことが出来なければどちらがよりうまいかという自然淘汰を議論することはできません。
まだ比較すべき生存機械が出来ていないのですから。

では、いったい、生存機械をつくることはいったいどうして出来たのか?
これは、生存機械をつくるという目的のもとに、
初めから相対的授受相関対応関係があったとしか言いようがありません。
自然淘汰では説明できません。

これは、他の条件が同じならばより残りやすい遺伝子が残ってきたという相互作用論を論じ始めるときには必ず必要なものです。


以下、p.31からp.33より引用

「以後、実物を示す用語と比喩とを適当にまぜながら、
建築家の設計のたとえを用いて述べていくことにしよう。・・・。
もちろん「建築家」は存在しない。
DNAの指令は自然淘汰によって組立てられてきたのである。

DNA分子は二つの重要なことをおこなっている。その一つは複製である。
つまりDNA分子は自らのコピーをつくる。
この営みは生命の誕生以来休みなく続けられてきたし、
DNA分子は現在実際にこの点できわめて優秀である。
人間は、おとなでは一〇の一五乗個の細胞からできているが、
初めて胎内に宿ったときには、設計図のマスター・コピー一つを受け取った、
たった一個の細胞である。
この細胞は二つに分裂し、その二つの細胞はそれぞれもとの細胞の設計図のコピーを受け取った。さらに分裂が続き、細胞数は、四、八、一六、三二……
と増えていき、数兆になった。
分裂のたびにDNAの設計図は、ほとんどまちがいなく忠実に複製されてきた。
これがDNAの複製という第一の話である。

だが、もしDNAが実際に体をつくるための一組の設計図であるとしたら、
その設計図はどのようにして実行に移されるのだろうか?
どのようにして体の構造に翻訳されるのだろうか?
ここで、DNAのおこなっている第二の重要なことへ話が移る。

DNAは別の種類の分子であるタンパク質の製造を間接的に支配している。
前章で述べたヘモグロビンは、膨大な種類のタンパク質分子の一例にすぎない。
四文字のヌクレオチド・アルファベットで書かれた、暗号化されたDNAのメッセージは、単純な機械的な方法で別のアルファベットに翻訳される。
それは、タンパク質分子をつづっているアミノ酸のアルファベットである。

タンパク質をつくることは、体をつくることとはひどくかけ離れているように思われようが、その方向への小さな第一歩なのである。
タンパク質は体の物理的構造を構成しているばかりでなく、
細胞内の化学的プロセス全般にこまやかな制御をおこない、
正確な時間、正確な場所で、化学的プロセスのスイッチを選択的に入れたり切ったりする。

たしかに、これが最終的に赤ん坊の発育にどうつながるかという問題は、発生学者が解決するのに何十年、いや何百年もかかるであろう。
しかし、それがおこっていることは事実である。

遺伝子は人体をつくりあげてゆくのを間接的に支配しており、そしてその影響は厳密に一方通行である。すなわち獲得形質は遺伝しない。
生涯にどれほど多くの知識や知恵を得ようとも、遺伝的な手だてによってはその一つたりとも子どもたちに伝わらない。
新しい世代はそれぞれ無から始めねばならない。
体は、遺伝子を不変のまま維持するために遺伝子が利用する手段なのだからである。

遺伝子が胚発生を制御しているという事実が、進化の上でもつ重要性は、次のことにある。
つまりそれは、遺伝子が少なくとも部分的には将来の自己の存在に責任があることを意味するからである。
なぜなら、遺伝子の存在は、彼らがその中に住み、彼らがその構築を助けた体の効率に依存しているからである。

昔、自然淘汰は、原始のスープの中を自由に漂っていた自己複製子の生き残り方の差によって成りたっていた。
今では、自然淘汰は生存機械をつくることのうまい自己複製子に、つまり、胚発生を制御する術にたけた遺伝子に有利にはたらく。
しかしこの点に関して、自己複製子はかつてと同様、相変わらず意識的でも意図的でもない。
寿命の長さ、多産性、複製の忠実度によるライバル分子間の自動的淘汰という同じく古いプロセスは、今なお遠い昔と同様に盲目的に避けがたく続いている。

遺伝子は前途の見通しをもたない。彼らは前もって計画をたてることをしない。
遺伝子はただいるだけだ。ある遺伝子は他のものよりたくさんいる。
単にそれだけのことだ。
しかし遺伝子の寿命の長さと多産性を決定する能力は昔ほど単純ではない。
はるかに複雑なのだ。」



posted by pocs at 06:19| Comment(0) | 進化学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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