2008年07月06日

政府、文部科学省に対して、意見 心のノート

政府、文部科学省に対して、意見を送りたいと思います。
意見文は以下のとおりです。

もし、何か付け足したほうがよいと思われるところがあれば、お願いいたします。

以下、送る内容

日ごろから、子供たちの正しい心を育てるために、尽力くださり、まことにありがとうございます。
今日は、文部科学省発行の「心のノート 小学校3・4年」を拝見いたしまして、ひとつご意見を申し上げたいと思いましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

心について考えてみるとき、心の主体は神仏です。心は、肉体の欲望を克服して、正しく生きようとします。その主体は、肉体ではありません。儒教では天と呼ばれ、仏教では大日如来と呼ばれ、キリスト教では創造主と呼ばれる、人間の親である絶対者です。心のことを、仏教では菩提心といい、キリスト教では神の御霊があなたがたに宿っているといい、儒教ではお天道様がいつも見ているよといって、ひとりびとりの良心に問いかけることができるのです。

拝見しましたところ、「心のノート」には神仏に関する教育内容がまったく入っていないように思われますが、これはとても問題だと思います。なぜなら、神仏を無視していくら心を善くしようと思っても無理があるからです。根となる道理なくして、どうして善を志向することが出来るでしょうか。人間どうしの損得関係で正しい心を養うことができますか?あるいは力を合わせるといっても、その究極的な目標は人間自体の中にはありません。もともと人間は自分で生まれてきた存在ではないからです。損得は人間の究極的な喜びにはなり得ません。究極的な喜びは根となる道理に合致したときに感じられるものです。

人間を生かしてくださった神様や仏様について語らなければ、心について語ることは限界があります。いのちの大切さについても同様です。いのちの大切さを損得で計ることができるでしょうか?また、親から与えられたからと言っても、親にとっても子は天から授かったものなのです。人間のいのちは、絶対者から与えられたがゆえに絶対的価値があるのです。

個々の宗教について語る必要はないでしょう。しかし、人間存在の源である絶対者については語る必要が絶対にあります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。





ラベル:心のノート
posted by pocs at 07:25| Comment(0) | 道徳と家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。