2008年03月17日

即事而真 ( そくじにしん)

即身成仏に関連する内容として「仏教哲理 佐藤通次著」から即事而真(そくじにしん)の内容を引用します。
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引用
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仏陀は自覚の三極(0―−―1)に当るものを縁起の理法として立てた。

竜樹の中観はその1が0に帰し(有(う)が空ぜられ)、さらに0が自覚して(空が亦復空ぜられて)−妙有(無我を超えた実相))と顕はれるといふ理法を確立した。
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自己の1の由来を完全に0に帰する所にするところに、空を越えたところに−の世界である実相が現れるという理法を竜樹は確立したということだろう。


引用
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天台には諸法の実相を見て「1=−=0」とし、華厳はこのやうな1の無限重層(重々無尽)に法界の実相を見た。
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空は無でなく無限の1が重なった世界が実相であると見たということであろう。


引用
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次にわが国で大成せられた真言宗(詳しくは真言陀羅尼(だらに)宗)は、現実当面の有(う)(1)が妙有(無我を超えた実相)(−)であることの洞見に立って、1の背後の空を括弧に納めてしまふ「1=−(=0)」「即身成仏」また「父母所生身に大覚位を証す」るのがこの宗の面目である(弘法大師『即身成仏義』)。
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1は空であり、実相でもあるという立場であろうか。


引用
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 右のことを原理的に表現して「即事而真」といふ。
それは「1=0」といふことであるが、0と一如となった1こそが−であるから、「1=−(=0)」又は「(1=)−(=0)」といふに等しい。

そしてこの二つの式のいづれにおいても括弧に入れられる0は、無視され又は消去されるのではなくて、わが心のハタラキとして生かされるのである。いな、心の本性が空である故、心が空そのものとして生きるのである。すると、顕現するものとしては1のみとなり、その1は0によって裏打されてゐる故に(すなはち自覚に貫かれて有る故に)−となる。
「色即色」である。
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空は1を捉える心の働きであり、1はまた空によってなり、実相であるという立場であろう。
この空が心の働きと捉えるところが、単なる1=1でないところなのだろう。



ラベル:即身成仏
posted by pocs at 06:31| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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