2008年03月13日

Re:Re:仏教は人の悟りが中心?

父親の17回忌を、遍照寺(852年、建立、横浜市天王町)でやりましたが、柴崎住職(32歳、早稲田出身)と話をしましたら、やはり、空海の、一番の著作は秘蔵記だと申しておりました。

なお、一緒に食事をしましたが、檀家の人が空海の本を書いて、なおかつ、私が泰範の研究をしているということで、大変に関心を持っておりました。
ミクシーで理趣経のコミュの管理人をしていると申しあげましたら、入りたいと言っておりました。

▽▽▽


> ここの理解は一般的にとても誤解が生じやすいのだと思います。
>
> 「理法が智慧のはたらきを起こす」と空海は述べていますから、
> 理法が原因的であり、智慧が結果的であることは間違いありませんし、
> 毘盧遮那如来の理法がなければ智慧を得ることもできないのは明らかなことです。
>
> 金剛を心、胎臓を体とみるのは明らかに間違っていますね。
> 金剛界の界が体を意味すると空海は述べていますから。
>

なるほど、原理的な見解を空海はすでに述べていたのに仏教学者たちは理解していないというわけですね。

私は金胎不二という見解を原理的に理解するならこの方が妥当だろうというふうに感じただけなのですが、このような空海の言葉があるならより空海が原理的な見解でこの不二に対して理想をいだいていた証になりますね。

松長有慶先生の理趣経の内容を読んでいるのですが、はじめは仏教のプロ集団からはじまったことを原始共産主義と言っているのが少し気になりました。

また、大乗仏典の本の維摩経などが入っている本の紹介に男と女は仮現にすぎないと紹介され、ジェンダーフリーのようなことを言って紹介しているのも気になりました。

よりオリジナルである中国が共産化されているため仏教学者は影響を受けているのでしょうか?少し気になります。



ラベル:理趣経 秘蔵記
posted by pocs at 07:13| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。