2008年03月06日

仏教は人の悟りが中心?

密教は法身説法まで説き、大日如来中心の理論展開を持っています。

しかし、胎臓曼荼羅の大日如来を理法身、金剛曼荼羅の大日如来を智法身という背景には、人間の悟りを中心としているというニアンスがあります。

胎臓曼荼羅が理であり対象的、金剛曼荼羅が智であり主体的だといいます。

人が悟る際に大日如来から与えられるから人間が大日如来や宇宙の真理の対象的な立場に立つという意味で胎臓であり、
金剛曼荼羅は人が積極的に悟りを求めるための智という意味で主体的であり、そのような意味の智であると言われています。

これは、ある意味、スウェーデンボルグや統一原理などの神様からの神学とはまったく逆の発想であるともいえると思います。

しかし、金剛を心、胎臓を体と見るのは行きすぎだという説明が理趣経の入門書( 理趣経 (中公文庫BIBLIO) 松長 有慶著)にも書いてありましたし、「楽しくわかる曼荼羅の世界」にも同様のことが書いてありました。

人間から見るならば金剛を主体、胎臓を対象と見れますが、
大日如来から見るならば逆です。

悟りの知恵が大日如来から与えられるという哲学からするならば本来、大日経の 胎臓曼荼羅を主体とし、重要視すべきであったのではないでしょうか?

日本で空海を通じて両方が重んじられ両方があって理想的だとされたのは意義あることだと思います。



ラベル:マンダラ 空海
posted by pocs at 06:15| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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