2008年02月24日

金剛界曼荼羅 向上門

この(1)から(9)の「向上門」の説明を仏教霊界通信を参考に説明します。

Hこの世的な成功法則や偶像、また、一般的な書物を通じて宗教的なものを知ろうとする世俗的な信仰も悟りへの第一段階とする。

G宗教心が芽生えると「もの」や「この世の常識」に縛られる心から脱しようと心を鬼(明王)とし、世間から遠ざかろうとする。
(これは「戒律遵守」の段階に相当し、旧約聖書の律法遵守に近いものを感じる)

F欲は人が生きるために必要なもので滅却するには限界がある。
欲求を肯定的にとらえ、欲がどうあるべきかを知ってコントロールする必要性を学ぶ。

E欲望のコントロールの境地を体得すると、そこに「唯一の存在」であり「智恵の根源」である大日如来の必要性を感じてくる。
しかし、この段階では大日如来を実感として感じるわけでなく、まず観念的に理解する。

Dさまざまな経験をへて、人は大日如来とその智恵の現れは、状況の変化に応じて千変万化な表現をされていることを悟る。

C大日如来の智恵の中には「その智恵を与えて人を救おうとする大いなる慈悲」が存在していたことを知ることで、
また自分の「智恵を得ようとする心」を大日如来の「智恵をつねに与えようとする心」に素直に従わせることで、
その智恵のさらに深い部分に踏み込むことができることを、人は悟ることになる。
(この段階は新約の神の愛と許しを実感している段階のような境地と思われる)

Bそうした見方をつづけるうちに、大日如来の智恵というものが小さな物質の元素や果ては宇宙の微細な振動の中にもあまねく行き渡っていることが理解できるようになる。

Aさらに、もっとも高い段階においては、そうした大日如来の智恵がさまざまな「表象」によって示されること、そしてこの世の現象すべてがその映像であることを知ることができるようになる。

@かくして人は、智恵の根源である大日如来を生活の中で実感し、その智恵を受け容れる完全なる器となって、その智恵と一体化して、大日如来とともに生きるようになる。

このように大日如来と一体となった境地のことを、密教では「入我我入」という。

原理的に言えば個性完成して神に侍る境地に近いと思われますが、原理の四大心情圏と三大王権のような実体的心情関係の具体性というよりも、大日如来(神)との縦の関係の確立が強調されているように思います。


次に胎臓曼荼羅のほうをもう少し突っ込んでみたいと思います。
密教の歴史や後期密教に関して松長有慶氏などの専門家がどのように理解しているのかは空海個人の探求よりも私には興味のあるところで少しづつ調べたいとは思っています。



posted by pocs at 06:54| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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