2008年02月11日

Re:金剛界マンダラ、上転門と下転門、空海と両部不二

> ●上転門(上転門従因至果(上松門従因向果))
>  
>  私たち凡人が、悟りをめざしていろいろな努力を積み重ね、
> ついに悟りを開く道程。
>
> ●下転門(下転門従果至因(下松門従果向因))
>
>  悟りを開いた者が、慈悲のゆえに、まだ悟りを開いていない
> 者たちの救済に向かう道程。


大日経の教えの真髄といわれる「三句の法門」において、
この両方向が矛盾なく一体化して語られているというのは
実にみごとですね。

三句の法門
http://www.d1.dion.ne.jp/~momomon/ajidaisi/sanku-ho.html
仏教用語辞典 三句の法門
http://popup8.tok2.com/home2/qookaku/vocab/03s_1.html


> この二つは一見矛盾しています。
> しかし、原理的に見るならば、人間には創造本性があり、子女、兄妹、
> 夫婦、父母というふうに成長段階によって悟る内容が違います。
> また、もともと神の子であるという点で、人間は神の愛をはじめから
> その段階段階で感じながら成長して生きるので、
> この二つを組み合わせることは原理的には評価されるべき内容があります。
> ですが、インド後期密教では、大日経の説く胎臓マンダラはあまり
> 評価されず、金剛頂経が重んじられました。
> 金剛界系のマンダラが多く作られて、胎臓マンダラと金剛界マンダラを
> ペアと考えることはなかったようです。


金剛界だけを強調するということは、人間の実力を発揮することに重点がおかれるということになりますよね。

神様の心情(阿字)を説いた胎臓マンダラの重要性が
わからなくなってしまうとそうなりますし、
また益々神様の心情がわからなくなってしまうことになります。

神様の心情がわからないままの求道の道は、いつか道を誤り、オウム真理教のような悲劇を生むことになりますね。


> 私は、空海は、本来の人間は、大日如来の慈悲と知恵と一つに
> なりながら、それぞれのときに応じて大日如来が悟りを与えながら、
> かつ成長するように導かれる状態が本来の人間であると気付いていた
> のかも知れない、と思っています。
> それが、両部不二という考え方を維持しようとした理由であろうと思います。


ほんとに、空海は大日如来(神様)の心情に対して非常に謙虚な人であったがゆえに、
この両方を堅持出来たのだと思います。



posted by pocs at 07:05| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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