2007年12月28日

Re:Re:八百万の神々を整理する本地垂迹

本地垂迹という概念は
相当、深いものかもしれませんね。
研究の余地がありそうです。

それでは、よろしくお願い申しあげます。

▽▽▽

神道の神仏人の合一の考え方は面白いものですが、
仏教が神、天使、人の区別が不明確である以上に、
神道は、神、天使、人、自然(万物)の区別が不明確であるので自然主義に陥り、果ては唯物思想に吸収されてしまう危険性を持っています。

仏教は密教において大日如来から展開する流れと大日如来の位置が明確になっていますが、
神道の隠身という考え方は、霊的働きとも見れますが、その実質的な存在位置が非常にわかりにくく隠身してお役目ごめんと去ってしまったがごとき印象を与えます。

大日如来は、曼荼羅において明確な位置と役割が大日如来から分け与えられたものであり、大日如来の知恵によってすべては仏を内在しているという思想が明確です。

ただ、前にも書きましたように創造をもう少し明確にしなければ堕落というものが理解できず、悪も大日如来から来たものと解釈せねばなりません。

理趣経にはそうではないと読み取れる内容が書いてはありますが・・。

神道においてはここら辺の整理をさらに明確にしていく必要があると思います。



posted by pocs at 06:28| Comment(0) | 神様と天使と人間の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。