2007年11月25日

スウェーデンボルグの聖句の引用から、夕と朝、日の意味を創造目的論的に考察

「天界の秘儀」のラテン語原典訳は、前に持っていた英語からの重訳のものよりもわかりやすく、いろいろ聖書の勉強になります。

1巻から4巻は創世記1章から27章までのスウェーデンボルグ神学による注解で、スウェーデンボルグ神学でのイエスに対する見方も書かれています。


聖書の「夕となり朝となった」というところの解釈はとても重要なので、考察していきたいと思います。

夕とは何か、朝とは何かを、スウェーデンボルグは、朝を主の訪れのとき、夕を信仰のない状態や偽り、と解釈しています。

ただ、悪ということに対して神は善であるけれど悪を利用しているというようなニアンスがスウェーデンボルグ神学にはあり、そこは少し問題と感じます。

また、スウェーデンボルグがあげている善霊人の発言の中には、個体目的と全体目的に近い考えで、小さな善、大きな善という考えもあります。


これを創造原理的に見るならば、夕は信仰のない状態や偽りを意味するというよりも、単に神様の創造目的が完全に現れていない状態、すなわち成長期間であると理解するほうが本来的であり、
人間堕落後にスウェーデンボルグが解釈したような意味合いが相対的に成立したと言えるでしょう。

ただ、神様と朝の関係の聖書の例え方を知るのに良い聖句を、スウェーデンボルグはあげています。
その聖句を引用します。

「エホバの霊がわたしに言われる。エホバの言葉がわたしの舌の上にある。イスラエルの神は言われた。イスラエルの岩は、わたしに言われた。 ・・・エホバは、太陽が昇り、雲のない朝、輝かしい雨によって、地から青草が出るときの朝の光のようである」(サムエル下23 ・ 2-4)。





posted by pocs at 06:26| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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