2007年10月15日

Re:菩薩

> 如来と菩薩は真理を証して人々を救うという意味において同じであり、それを仏側の立場から見た場合は如来、人の立場から見た場合は菩薩、と説明されています。
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
> 菩薩は菩提薩たの略である。その原語はbodhi-sattvaで、
> bodhi は「真理」「覚」「道」であり、
> sattva は「人」。


菩薩というのは、人間が仏様(絶対者)の相対であることを意味する名称なのですね。

菩提サッタの心である「菩提心」が、「本心」のことなのもよくわかりますね。


「古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。」
「善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業により、善の生活ができないようになってしまったとしても、
善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。」
(原理講論より)


ここで思い浮かぶのは、歎異抄にある
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
という言葉の真意です。

『本願他力の意趣』(歎異抄第三章)― 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや ―
http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200703080000/

ここで言う悪人とは、自分の罪深さを悟って如来の前に頭を垂れる人のことで、
絶対者の相対として立ちうるか否かを言っているわけですよね。

イエスキリストが山上の垂訓で、
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 」(マタイによる福音書5章3節)
と言われたのと同じ意味ですね。



posted by pocs at 13:53| Comment(0) | 神様と天使と人間の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。