2007年10月13日

涅槃とは絶対者があって初めて言える

>> 仏教は生成論(宇宙生命論)的なところがあるので、創造主とそれ以外があまり明確でないところがあると思うのです。

>> ある意味、仏(神)と同じと考える発想が悟りと解されているような点が無きにしも非ずではないでしょうか?


> 無きにしも非ずですね。
> そして、仏教徒といえども、ここをよく注意しないと、唯物論者に陥ってしまい、
> 釈尊の意図とはまったく反対の考えの持ち主になってしまいますね。
>
> 涅槃とは絶対者があって初めて言えることであって、
> 決して、個人の心の中だけの悟りの世界ではない、
> ということを明確に示しておく必要がありますね。


そうですね。私は仏教は神についてはそれに近いことをいっているけれど、「創造」が明確でないと感じます。

創造がわからないから、結果的に神様のことを主張しながらも、
法則が神様の根本属性なのか?慈悲や愛などの心情が根本属性なのか?
がわからなくなり、人間との区別があいまいとなり、
さらには物との区別もあいまいになり、
唯物論の論理に飲み込まれてしまいます。

人間が神様と一体となるべき存在で、物には神性が宿っている。
これは事実で、誰もが本来は悟りの境地に至れる。
これは事実なのですが、創造がはっきりしていないから、

結局堕落についても、説いていても、それは単なる性質の相対的変化にすぎず真理さえあれば自分の力だけで解決できるものになってしまうのです。

罪は、統一原理で見れば、関係性(神との親子関係の回復させ、サタンは天使の位置に戻り、神様を中心とした祝福による結婚を行う)法廷論的な回復であり、
その回復がなされてこそ、堕落性からも本当の意味で解放されていきます。

この点はキリストが来られなければ罪から解放されないと説いてきたキリスト教のほうが真理に近いと言えますが、
誰もがイエスキリストのような神の子になれるという確信はキリスト教にはないので、その点は仏教のほうが真理に近いと思います。

各宗教には真理性がありますが、説いている内容の中に重要な部分がどこか欠けていて偏っています。
統一原理はその偏りをなくし真理の全体像を見せるそのような内容であると思います。
幸いにして、各宗教の中にも真理の全体像につながるような教えがまったくないというわけではなくその片鱗を見せていると思いますので、そういったものを再評価していくのも必要だと思います。



posted by pocs at 06:54| Comment(0) | 神様と天使と人間の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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