2007年09月29日

Re:愛と自己認識

「仏教哲理」神様の愛についての内容でもう少し補足すべきと感じるところを書きます。


> 「ところで、所与の個の主格なるI Seeならば、自身の主体存在を受取って保つ者である故、所与なる対象Thisを、同じく受取るという形で見るほかないであろう。
>
> しかし神は絶対者である故、神が対格に対するというのは、対象を与えるという能与でなくてはならぬ。神は、自らの内より対格を産成し、相対の世界にこれを立て、その相を美しとして愛で慈しむ(美しむ)のである。」
>
> 「神は絶対であり全であるから、神は全能であって、どんな対象でも与えることができる。
> 神がSee Myselfなる対象、いなむしろ対者を求め、それを自らの内から与えるとき、神はそれと絶対してI See Myselfなる自覚式を充足せしめ、自覚すなわち真実に達するのであるが、そのほかにも、それの低次元に、神は無数の対象thisを求め、それを自からの内から与へて、I see thisなる式を成す。
> それがいわゆる神の世界創造であり、キリスト教は自覚のこの論理を基盤として立つ。そのthisとは存在であり、宇宙であり、世界であり、天地であり、また自然界である。」


ここで、創造とは何かということが問題となる。
神様は単に自己の一部を相対化したのでなく、自己の要素の一部を抽出して与え授受することによって別存在を相対的世界に創造したと考えられます。
この点からあくまでも被造物なのです。また相対からの自己認識は愛ということを考えると、単に自己の性相と形状を相対的に感ずるときに喜びが生じるというよりも、相対的に感じながら、かつ「調和」が見出される時に喜びが生じると考えると、創造目的、四位基台にもよりよく一致して納得がいくと思います。



posted by pocs at 06:13| Comment(0) | 神様と天使と人間の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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