2007年09月26日

Re:Re:Re:Re:如来 = 救世主? 大日如来の相対として立つ人間

> しかし、どうなのでしょう。
> お釈迦様がおっしゃった如来は、法の根源にあたるもので、
> 実体すなわち被造世界(法界)の主体にあたります。
>
> 如来は時空を超越した根源者の側にあると思います。


現在の仏教に合わない解釈であることを承知で、
アダムのロゴスからすべてが作られたという理解から、
来るべき完成人間の可能性を論じてみたのですが、

ただ、釈尊のおっしゃっている内容からすれば、
その時点で存在している真理そのものを証する存在で真理がある以上、
その存在は霊的存在でありながら疑うことができないという内容である気がいたしますので、
やはり救世主である可能性は低いでしょうね。

一応、1つの可能性を感じたので議論する価値ありと感じ?マークで議題をあげていました。


>> もう1つの解釈としては、神の真理をそのまま証する霊的な使者、すなわち神の代理をしていた天使の中の天使長クラス(ガブリエルやミカエル)などをして如来と言った可能性は感じられます。
>>
>> この天使長は堕落人間が到達できる最高位と同格であり、しかも、神様の創造の技を見てきた存在なので、
>> 文鮮明先生の御言葉にあるように、堕落人間にとっては神的存在だからです。
>
> こちらのほうが可能性としては高いのではないでしょうか。


神以外の存在で完成人間の構想(ロゴス)でもないとするなら、神の代役を果たした天使長以外には考えられないと思います。


>> 私はメシアを弥勒菩薩として例えたのは本来的には不充分な表現ではないかと感じています。
>
> 弥勒菩薩には救い主という意味合いが十分にありますが、
> 不十分とおっしゃっている意味は、完成実体を意味しているか
> どうかという点ではなかろうか、と思います。


さすがに、鋭いですね。その通りです。


> そういう意味では、大日経に出てくる金剛サッタは、
> 完成人間を意味しており、かつ、大日如来の相対として立つ人間を
> 意味しております。


なるほど。
私は大日如来というのは、
真如という言葉であると真理の根源と言う意味合いが強く人格的な神様の意味を表していないため、
如来を統括し、かつそのすべての根源である人格的側面を持つ超越者としての大日如来という呼び名にする必要があったのではと解釈します。

そのような大日経の中に相対として立つ立場の完成人間を表す教えがあるのは非常に意義深いですね。



posted by pocs at 06:40| Comment(0) | 神様と天使と人間の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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