2007年07月22日

Re:理法と創造

この内容は理法においての今までの捕らえ方まで入れるともうすこし説得力が出ると思いますが、少し表現において不足ではないかと私自身が感じたところは

> 創造された理法の世界は相対的なものです。それは、陽性と陰
> 性の相対的関係によってしか有形的な力は生じ得ないからです
> 。しかし、このような神の愛でその世界を見るときにそこには
> 絶対的な調和があります。しかし、逆にこの土台を見失うなら
> ば相対的な世界であるがゆえに無価値な世界か、その見るもの
> の主観による世界となり、どちらにしてもこの世界を調和的に
> 見ることは難しくなるのです。

ここに、単に見ることだけでなく、理法で作られた世界は相対的なものであるが有形実体世界であり、自己中心的な誤った主観により実際的に環境破壊や争いも起こっていると言う現実的な認識が必要であり、それと同時に本然の調和が可能な本性を見ることが出来なければならないと思うのです。


> 無から世界を創造するには相対的関係が必要でした。その先有
> 条件は神の心情から発せられた言葉であるロゴス、すなわち理
> 法によるものであり、それによって世界は創造されなければ世
> 界は生じ得る何の理由も見出すことができないのです。
>

ここで言う無は物質的には無であると言う意味ですが、厳密に言えば本性相と本形状の授受作用によって、理法が生じ、理法は万物の内的性相と内的形状となるとされていますが、統一思想はトップダウン的で、このような専門的用語を一言で説明するのはもう少し推考を重ねて言葉を吟味する必要がありますが、今回は省略しています。


また、理法の歴史的な扱われ方や、神道は多神教であることは知られていますが、仏教も根本的存在から派生する多神教に近い展開が見られるので、ここらへんの考えとのつながりのわかりやすい説明が必要かもしれません。
ただ、どちらにしても仏教側の多くは創造や愛よりも理法が根本だと思っているので、かなりパラダイム転換となると思います。



ラベル:理法と創造
posted by pocs at 07:34| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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