2007年07月21日

理法と創造

理法とは神の言葉、構想であって、それによって万物が創造されたと統一思想では見ますが、それらについて統一思想要綱を参考に書いて見ます。
だれでもわかるようにするにはもう少し説明に工夫がいるかもしれませんが・・。

理法は神の言葉です。理法は、二性の側面を持っており、理法の理は理性であり、道理を求める指向性であり、人間で言えば道理を求める思考力です。そこには自由性が含まれます。法は法則性です。

生物のような高度な万物ほど理性の要素は強くなり、素材となっているような物質に近い万物ほど法則の要素が強くなっています。万物の存在と運動は自由性と必然性の統一であり、目的性と機能性の統一です。
これは交通ルールを守りさえすればその範囲で自動車は事故なく自由に走れるのと同様です。

ところで、理法のこのような相対的関係は何によって統一されているのでしょうか?
それは目的によって統一されることは明らかです。この目的が利他的なものであるときに統一がなされ、利己的なものであるならば、破壊的となります。与えて協調しあう関係が築けないからです。

創造の構想であり力である理法を生み出す動機は一時的な欲望によって生じるものでなく、利他的な愛、親が子供の成長を見て喜ぶように他に温情を施して得る喜びから来るものでなければなりません。
真の愛を通じてしか真の喜びは得られないからです。ゆえに神の心情は「限りなく愛そうとする情的な衝動」であるとも表現することができます。
このような心情を土台としての神の言葉は万物を創造する理法となるのです。そのために「神は愛である」と聖書には書かれています。

創造された理法の世界は相対的なものです。それは、陽性と陰性の相対的関係によってしか有形的な力は生じ得ないからです。
しかし、このような神の愛でその世界を見るときに、そこには絶対的な調和があります。しかし、逆にこの土台を見失うならば相対的な世界であるがゆえに無価値な世界か、その見るものの主観による世界となり、どちらにしてもこの世界を調和的に見ることは難しくなるのです。

無から世界を創造するには相対的関係が必要でした。その先有条件は神の心情から発せられた言葉であるロゴス、すなわち理法によるものであり、それによって世界は創造されなければ世界は生じ得る何の理由も見出すことができないのです。

このように見るときに、この世の第一原因である心情の神様以外には神様はいないのであり、それ以外は全て理法によって作られた被造物であることが理解されるのです。



ラベル:理法と創造
posted by pocs at 08:04| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。