2007年07月07日

仏教思想の根源と悟り

仏教では根源的な存在がある(真如、法性、大日如来、久遠本仏、宇宙生命)ことが述べられていますが、それが創造主であるという立場に対しては間接的な表現であまり明確ではないように感じられます。

それは、人間の苦の原因、囚われている原因を解明することが釈尊の悟りの目標であったために、根源者がどんな方であるかということは釈尊の関心事でなかったからであると思われます。

仏教で言われる仏心、仏性は統一原理で言う生心(霊人体の心)にあたると思われますが、釈尊が肉身を打ち我欲に打ち勝ってサタン分立をしていた状態にあったため、この生心が啓発されていました。
(原理でいうところの本心というのはこの生心が肉心を主管して創造本性(仏性)が現れることを言うのであると思います)

釈尊はこの仏性が宇宙の根源的法に通じるものであり、その仏性によって縁起の法を悟り、苦の内容、原因、消滅、解決法を苦諦、集諦、滅諦、道諦の四諦の法門で解かれたと伝えられていますが、そのような苦の問題を解決した喜びが大きかったために根源にある神様がどんな存在であるかというアプローチはできなかったのだと思います。

しかし、そこに釈尊の本当の目的であったサタンと人間の因縁を完全に切ることができない理由があるとは釈尊も思いもよらなかったのだと思います。
それゆえ修行により個人が悟りを開くと言うレベルにとどまりました。
それが、釈尊が仏教を残しても、サタンにとっては釈尊が死んでしまえば痛くもかゆくもない理由であったと思います。
このことは統一原理によってはじめて解かれた問題であると思います。



ラベル:仏教の意義
posted by pocs at 07:03| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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