2007年07月01日

無上菩提

「(苦行経)是の如く我れ聞きぬ。一時、佛、欝碑羅処の尼連禅河の側なる菩提樹の下に住まりて初めて正覚を成じたまへり。
爾の時世尊、独一静処にて専心に禅思して是の如き念を作したまへり
『我れ今苦行より解脱せり。善い哉、我れ今善く苦行より解脱せり。
先に正願を修し今已に果して無上菩提を得たり』と。
時に魔波旬是の念を作さく
『今沙門崔曇は欝碑羅処の尼蓮禅河の側なる菩提樹の下に住まりて
初めて正覚を成ぜり。我れ今當に往いて爲に留難を作すべし』
と。即ち化して年少と作り佛の前に住し而かも偈を説いて言はく、
『大いに苦行処を修して能く清浄を得せしめしに 而かも今反って棄捨せり
此に於て何をか求むる所なる 此に於て浄を求めんと欲するも浄も亦た得るに由無けん』
と。爾の時世尊、是の念を作したまへり
『此れ魔波旬のジョウ乱を作さんと欲するならん』と。
即ち偈を説いて言はく、
『諸の苦行を修するは皆無義と倶にして 終に其の利を得ざるを知れり 
弓を弾くに聲有るが如く 戒定聞慧の道我れ已に悉く修習して 第一の清浄を得たり
其の浄は上有ること無し』
と。時に魔波旬是の念を作さく『沙門崔曇は已に我が心を知れり』と。内に憂感を懐き
即ち没して現ぜざりき。」
(雑阿含経巻第三十三)


これが、仏教の根本経典である阿含経に書いてある、お釈迦様が悟りを得たときの様子です。
仏教の一番最初の出来事だったと言ってよいと思います。

国訳一切経 阿含部 4
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1100991809/subno/1


ここには仏教の原点が書かれているといっても過言ではないと思います。

お釈迦様の悟りの真髄は、無上菩提は人間の努力の範囲内にはない、という点でした。

苦行してこそ清浄を得られるのではないか、と言って、お釈迦様をとどめておこうとしたのは、むしろ悪魔の方でした。

悪魔の支配は、執着を通してなされます。
もっと幸せになりたいという人間の思いは、それがどんなに素晴らしく、どんなに高貴なものであったとしても、結局自分の幸せを願っているがために、
創造本然の人間になることはできないのです。

お釈迦様の悟られた無上菩提は、人間の思いを一切捨てて、悪魔の境も越えて、如来の法の側に立ったものだったと言えると思います。



posted by pocs at 06:40| Comment(0) | 時空を超越した世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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