2007年05月10日

中立説の限界と評価

中立説はある程度、実証されている進化学説ですのでその意味から検討し限界性を見出す必要があると私は思います。
下記が私の現在得ている情報からの見解です。


中立変異とは自然淘汰からみて有利でも不利でもない突然変異のことです。このような変異が蓄積された生物が集団のなかにはある一定比率存在し生物の集団に変化をもたらす。また、あるときに自然淘汰によって有利な方向で活性化されて飛躍的進化の原因となる。
これが現在の自然淘汰と組み合わせた中立説の考え方です。

中立説が通常の累積自然淘汰と違う点は有利な突然変異でなくてもよく、生物内で許容される自然淘汰で排除されることのないきわめて確率の高い変異であるので変異の累積や集団に一定比率で広がることが可能と言う点です。
しかし、これが有利な方向に活性化して新しい有利な機能を生み出すと言うのは有利な突然変異と何ら変わりのない、それ以上に難しいことではないでしょうか?事実、これに対しては証明がなされていません。

これは、量から質への転化の法則というのが共産主義の哲学にありますが、それに、非常に似ています。その実例としてあげられているものを批判すれば、それがいかに滑稽な理論かがわかります。
ボイラーを炊きすぎたらボイラーが壊れることやロープに力をかけすぎたらロープが切れるなど、どれも本来の範囲を超えたら破壊してしまうという例ばかりがそこにはあげられており、発展的な質を生み出すものではありません。
でたらめな変異が積み重なって生態のバランスを崩せばいい方向に行くことは通常ではないし、それが新しい質(機能)となることはまずありえません。

ただし、生体が環境対応の為にある程度コントロールした形でこの中立変異を利用している可能性はあり、そのような変化で多少手足が伸びたりというようなことがあることは生物の発展性の範囲で説明できることで完全に否定されるものではないと考えられ、実際の小進化と呼ばれる現象があるのでそのための情報提供の役割をはたしているかもしれません。

しかし、生物には自己同一性がありますから、このような変異で種を超えるような変化までは起こりません。
不利な突然変異が修正されるなどはこの自己同一性の作用であり、自然淘汰とは別の生物独自の作用と考えられます。しかし、これを自然淘汰と淘汰排除されたと現在の進化学では見ています。


中立進化説の現在の問題点をあげましょう。
それは遺伝子の変異(遺伝子型)が生物の形質として表現される表現型(「果実の甘さ」や「病気に対する抵抗性」など特定の条件・分析の結果で判明するような形質)の進化に対して直接適用できないと言う点です。

このように実際に進化と言える表現型との直接的なつながりが疑問視されており、そのシステムが判明していません。すなわち、実際の進化に対しての影響力がわかってません。そのために有利な突然変異との棲み分けがなされています。これらのことから、中立変異は環境対応のために生物が蓄積する情報に過ぎない可能性もあり、環境対応レベルのために一定の速度で蓄えられているのかもしれません。
このように考えてみても進化として活性化するにはこの情報をどのように使用するかと言う別のシステムを考える必要があります。


新しい機能には性相と形状が創造目的を中心として授受作用すると言う四位基台構造が必要です。これが相対的授受相関対応説の意味するところです。

このように考えると、神様は中立変異を利用して遺伝子組み替えの作業を行なって別種を創造された可能性が0ではありません。
しかし、神様の力なしに偶然の大進化として中立説が成り立つことはあり得ないと言えます。


統一思想から見るなら、中立突然変異は、生物の環境対応範囲内の発展性が通常の役割であり、もしかしたら環境を変化させて必要な情報を蓄えさせ、そこに神様の力が働くことによって新生物への遺伝子組み換えをもたらすと言うようなことを神様はなされたかもしれない。

これが、現在の私の中立説に対する評価です。



posted by pocs at 08:09| Comment(0) | 相対的授受相関対応説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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